鈴木富雄の世界へようこそ
(志野は日本で作られた初の白釉茶碗です)

...........その志野の白い釉はほのかな赤みを帯びている。
しばらくながめているうちに、白の中から赤が
浮かんでくるようだ。........
...........今朝文子が電話で言っていたように
文子の母の口紅がしみこんだあと
なのだろうか。..........
口紅があせたような色、
紅ばらがしぼんだような色
ーそしてなにやら血が古びたような色
と思うと、
菊治は胸があやしくなってきた。
.....................
川端康成「千羽鶴」より



美術年鑑掲載作品
耀変志野茶碗(金志野) 
鈴木富雄作


2006年度版
美術年鑑のページです







すごい迫力の紫志野ですね。

川端文学に触発され
いままで、志野だけ手がかけてきた方です。

ノーベル賞作家川端文学の世界と関連する茶陶として、
アメリカの一部の志野焼作家なかではよく知られています。

主に個展中心活動のされております。
(有名デパートでの個展が多数あります)
ちなみに、デパートでの個展の場合、外商部の専門家の
目にかなっていなければ行うことはできず
申し込めば誰でも個展を開ける訳ではありません。
それなりの美術的価値および評価がなければ、
見向きもされません。

耀変志野(通称・金志野)について

焼き物はまさに化け物です
たまたま見つけた鉄分の強い泥が
触発剤となって加藤唐九郎によって
そのレールが敷かれた「紫志野」

現代に入り、美濃の名工によって
桃山のころからごくわずかだが
合った色を再現・昇華させ
完成度を高めた「赤志野」

そして平成16年
通常の志野の2倍の手間がかかり
自然の炎と土が作り出した
錬金術ともいうべき
金色の志野
「耀変志野」

この作品が秀吉の時代に登場しいたら
まず間違いなく
歴史にその痕跡を残したと思います
茶の湯の原点でのせめぎあい
利休と秀吉の対立
その狭間に存在した「金」色
桃山の最高傑作に
激しい勢いで迫るこの焼き物の
その息吹を感じとり
ご愛用いただければ
幸い
です





写真 作品名(Title)
耀変志野茶碗
耀変志野茶碗
耀変志野茶碗
志野茶碗



本物の志野茶碗について

時々、ヤフオクなどで、「志野」茶碗と記載された物が、
かなりの低価格で落札されているのを見かけることがあります。
作家さんの名前の知名度によってもかなり違う思いますが、
正当な作り方をしている志野茶碗はかなり高額な物になるということを
あまり知らずに、写真でそれらしくみえるものをちゃんとした志野茶碗だと
勘違いしている人もいるのではないでしょうか。

これまでのコレクターズライフで「安く買える」ということには必ず裏があると思います。
たまにですが、本物の志野茶碗がかなりお手頃の価格ででている
時がありますが、最終的には十万以上の価格になってしまうものも多い。
目のある人は、必ずそれくらいの評価を下すのかもしれません。
確かにネットでの場合、手に取ってみることができない分、かなりの
ギャンブル性が伴い、受け取ったとき、あたりはずれという感覚を
覚えるのは事実です。ですので、これくらいなら競馬やパチンコにいって
負けたと思えば、痛くない金額程度しか入札する人がほとんどなのも
うなずける話です。

ただ、志野茶碗の場合、低額の物はまずおすすめできないのが経験から得た教訓です。
訳があります。
まず、個数からいって、完成度が高い作品がとれる割合が他の種類の茶碗と
比べて、極端に少ないということがあげられます。
作家さんも人間ですから、食事をしないと生きていけません。
採算のとれるように作品を裁かなければ、生活できません。
志野の場合60個窯入れして、市場に出せる納得のいく「完品」、いくつとれると思いますか?

5個とれればいい方だといいます。

合成の釉薬を使ったり、本来は長石100%の釉薬に灰などを混ぜ込んでいる場合は、
話が別ですが、桃山時代と同じ作り方を目指した志野茶碗は最低でも10万以上の
価格の取引がないと、やっていけません。作品の善し悪しに関わらず、費用の面だけでの
単純な算定です。ですので、多くの作家さんは、ミスがないように、なるべく多くの完品をが取れるようにいろいろに工夫して、本来元々の志野でない志野茶碗を普及させてしまっているようです。
贋作も手がけている方もいるようで、焼き物業界全体がかなり大変な状況におかれているためそのようなことになっているようです。実際、志野茶碗ではありませんが、とある有名作家さんなども市場に出す茶碗に差別化をして、この状況を凌いでいるように見えます。すべて同じ作家の手作りによる物なのに、0の数が一つ違う。片方では、一椀60万円の茶碗があって、その横に破格の1万5千円の茶碗がおいてある。サインを変えて市場に出す。箱書きも両方、茶碗と明記されている。
両方とも本人自身の作品です。

そんな形でやりくりしているようです。

ですから、志野茶碗だけを手がけてやっている人というは
本当に実力がなければやっていくことは難しいように思えます。


長石の作り出す、鮮やかで艶めかしい桃山の世界を
手にとってみていただけないのが残念です。

購入された方の中には、お風呂の中まで持っていって茶碗をなでている
という方までいます。

志野の肌を知っていただければ幸いです。